「アンナチュラル」 サブタイトルに隠された伏線たち


見る度に心がエグられる。
未だかつて、こんなに残酷で美しく、リアルなドラマがあっただろうか。

TBS系 金曜ドラマ『アンナチュラル』がとんでもなく面白い。


ミステリー性 ヒューマン性が絡み合う絶妙な匙加減。
現代社会のリアルな問題を投影したストーリー。
二転三転する展開とそのテンポの良さ。
人間味溢れる人物たち。
無慈悲なほどに裏切ってくる予定調和。
絶望の暗闇の中に差し込む救いの光。
主演の石原さとみをはじめとした演技派の役者陣。


どこを切り取っても、一言では表現できないほどに魅力が詰まっている。

もう第7話まで放送されたが、どの回も何度も見返しては考えさせられる。

Twitterに投稿される考察と自分の考察を比較して、新たに気付く伏線や奥深さを感じることもまた、このドラマにハマる要因のひとつだ。

さて、いよいよストーリーも佳境に入ろうと言わんばかりになり、新たに気付いたことがある。

サブタイトルの伏線だ。

いやいや、そんなの初回放送から知ってるし。
脚本の野木亜紀子氏ご本人もダブルミーニングを意図している、ということを仰ってるし。

実際、サブタイトルに隠れたダブル以上のミーニングは毎話その放送回の中からしっかりと探し出せた。
そしてそれは事件そのものからと、ミコトたちメインキャストから、時に酷く対照的に描かれる。

たとえば、初回放送の「名前のない毒」。
不自然死を遂げた連続毒殺事件の謎の解明に、「名前のない毒」に何度も奔走するUDIラボチームと振り回されるわたしたち。
「三澄ミコト」は本当の名前ではないという不動の事実。
主人公はある種の毒。
「名前がない」ものは認められない社会。
「名前がない」から無作為に攻撃できる社会。
ミコトだから名誉回復を強く訴えるシーンが際立つ。
うん、面白いじゃないか。

毎話毎話、人間が誰しも持つであろう暗い部分が容赦なく描かれ絶望し、対照的なミコトたちに救われる。


でも今回私が言いたいことはこんなことじゃない。

もっと全体を俯瞰してサブタイトルを見ると、とんでもないことがふたつ、見えてくる。

そしてそれもまた、ひどく対照的だ。

まず一つ目。
このドラマのキーパーソンは誰か?
サブタイトルを初回から今回放送まで全て並べてみると、浮かびあがる事件がある。

名前のない毒
死にたがりの手紙
予定外の証人
誰がために働く
死の報復
友達じゃない
殺人遊戯

お分かりだろうか。
これから浮き彫りになるであろう、中堂系とその恋人「糀谷ユキコ」の事件だ。

名前のない毒  →  原因不明の死
死にたがりの手紙  →  連続殺人事件を示唆
予定外の証人  →  恋人の裁判とのリンク
誰がために働く  →  糀谷雪子事件の解明のために働く
死の報復  →  目には目を、を実行した青年への羨望
友達じゃない  →  同志としてミコトに協力要請(「同情なんていらない」と言う中堂に対し「同情なんてしない」とミコトが返したことから、同志と解釈)
殺人遊戯  →  赤い金魚

実はこれに気付いたのは私の姉だった。
あれは寝る間際にベットに伏せながらお互いの考察を言い合っていた時。ハッと急に興奮しながら早口で語る彼女の話に聞き入り、私も眠気なんて吹っ飛んだ。

ふと思ったけど、ラストシーンとサブタイトルって関連性あるんじゃないか?

第7話は「金魚みたい」で、第6話は「俺たち友達だよな」で終わり…しまった、その前が思い出せない。
誰か録画を消去したあんぽんたんの為に教えて…


そしてふたつ目の気づきに到達した。

他でもない、六郎の存在だ。

サブタイトルと彼に何の関連があるだろうか。
いや、確かにあるのだ。
時系列は若干ズレがあるけど。
しかもサブタイトルと意味合いは全て反対である。

名前のない毒  →  視聴者には全て明かされる裏の顔
死にたがりの手紙  →  最後まで生きようと足掻く
予定外の証人  →  出版社からのUDIラボネタの強要
誰がために働く  →  ミコトのために働くのか、スパイとして働くのかまだ決めかねる
死の報復  →  逮捕の瞬間の写真を撮り、欲しくもない報奨金を得る
友達じゃない  →  恋心を抱くミコトからはワンコ扱い、利用した記者からは利用される
殺人遊戯  →  一切スパイの顔を出さずUDIラボの一員として「仕事」をした唯一の回

中堂がようやくミコトと手を組み、目的は違えどそれぞれが同じ方向へ進む道筋が見えてきたが、それでもまだ彼の立ち位置のみ、あやふやなのだ。

こんなのただの憶測に過ぎないが、六郎がこれからミコトたちとどう関わりを持っていくのか、残りの数話で白になるも黒になるも十分考えられる。
そういう意味では、六郎こそが「名前のない毒」そのものなのかもしれない。


次回放送のサブタイトルは「遥かなる我が家」。

奇しくも六郎の父親が初お目見えし、彼の行く先はますます見通しが立たない。

「対照的」という言葉を頻発させて考察してきたが、本当にこのドラマは対比させる箇所が多くて、その意味を感じ取るたび鳥肌が立つ。
様々なポイントで対比されるからこそ、より鮮やかに表現され、印象に残り、胸に響くのだと思う。


残りの放送回もあと僅か。
冷酷無残の中でも最後まで希望が残りますように。

金曜ドラマ『アンナチュラル』から目が離せない。